Gregory Goodwin Pincus(グレゴリー・ピンカス)

 1903年生。ピンカス家の言い伝えによるとIQ210の神童であったらしい。コーネル大学を卒業後、27歳でハーバード大学講師、28歳で同助教授に就任した。ユダヤ人に対する差別が厳しかった時代背景を考えればピンカスの「天才」ぶりがどれだけ際立っていたかがわかる。

 遺伝学に興味を持ったのは、自身が色盲だったからと言われているが、遺伝学実験で動物交配を繰り返している間に、生殖学そのものが研究対象となった。ピンカスと友人ホーグランドは製薬会社から研究を請け負う民間研究所(ウースター実験生物学基金)を設立した。当時、性ホルモン開発に対する製薬会社の関心が高まっていたし、ピンカスは生殖学動物実験の領域では第一人者であっただけに、研究委託の需要があるに違いないと踏んだのである。
 51年、ピンカスは、サンガーがニューヨークで主催したディナーにゲストとして出席した。当時、サンガーはすでに75歳になっていたが、経口避妊薬実現の可能性を探るようになっていた。このディナーの席で、サンガーは「物理的に精子と卵子を遮断する方法ではなく、生理的な方法による避妊法を、あなたの研究所で早急に実現することは可能か」と、直截な質問をピンカスにぶつけたのだった。
 「早急というのはどれくらい急ぐのか?」と尋ね返したピンカスに対するサンガーの答えは「2〜3年のうちに」というものだった。「保証はできないができると思う」とピンカスが答えた瞬間、経口避妊薬「ピル」は誕生に向けて大きな一歩を踏み出したのだ。

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